インド⑥レーのチベット僧院へ参拝。シェイ・ゴンパ、ティクセ・ゴンパ、マトゥ・ゴンパを巡る。

前回、インド⑤からの続き。

ダライ・ラマ法王の法話会が終わって、ゲストハウスに帰ってくる頃には朝まで土砂降りだったのが嘘のように晴れ渡っていました。


法話終了後、沢山の人がいる中でオーナー家族と合流できるか不安でしたが、車を停車した場所を写真に撮影していたため、なんとか車の場所に辿りついて、オーナー家族と合流する事ができました。

一斉にダライ・ラマ法王の法話会から帰路に着く車両の中で、私は満たされた気持ちでした。言葉や内容はほとんどわかりませんでしたし、天候には恵まれませんでしたが、何年も前から憧れていた人に出会うために遥々日本からやってきて、それがようやく叶ったのですから。

ここへ導いてくれた全ての仏縁に感謝です。

ゲストハウスに戻ってからは少し休憩をして、ダライ・ラマ法王の法話会に参加できた余韻に浸っていました。


夕方付近に活動開始し、夕飯を食べにメインストリートの方へ来ました。

街にはたくさんの観光客と地元の人で賑わっています。チベットの僧侶たちもたくさん歩いています。女性や子供たちも談笑しているので、治安がいい事がわかりました。仏教の教えが根付いているんですね。もっとチベット人のお坊さんとはお話ししてみたかった。

街をぶらぶら歩き回って、私は道路の一角に面したレストランに入りました。

そこで今夜の夕飯、チベット料理のトゥクパという麺料理と、グリーンサラダと、コカコーラを注文。

このトゥクパ、という料理がとても気に入りました!チベット版ラーメンのような料理。チベット料理では肉魚を使用しないようなのですが、揚げた卵がトッピングされてあります。味は出汁の効いた塩味で、素朴で優しい味でした。野菜も結構はいっているのが嬉しい。

一緒に頼んだグリーンサラダは想像したサラダとは違ってました。。。野菜を切ってライムを絞ってそのまま食べるスタイルなんですね。ドレッシングとかはなし。

ご馳走様でした。

レストランの内観
トゥクパ。優しい味でとても気に入った。
グリーンサラダ。想像していたサラダとは違うタイプのサラダ。

ゲストハウスに戻ってくると、リビングではオーナーと他の宿泊者がお茶を飲んでお話ししていました。私も勧められてお茶を飲み、他の宿泊者とお話しをしました。

そこで出会ったフランス人のステファンさんから、明日一緒にラダック内のチベット寺院を見て回らないか?とお誘いを受けました。

私も明日は僧院を見て回る予定だったので、ありがたいお誘いでした。そしてこの日は就寝。


次の日。空は快晴!

まずは、タクシーをチャーターしに行きます。

ステファンさんの案内で、タクシー乗り場に向かいました。

タクシー乗り場に着くと、ステファンさんが運転手と一日チャーターの交渉を始めます。金額が双方納得すると寺院に向けて車を出発。


チベット仏教では大きくカギュ派・ニンマ派・ゲルク派・サキャ派の4宗派に分かれているといいます。宗派の違いについては私は詳しくないので、ここでは詳細は避けます。

まず最初に向かうのは、シェイ・ゴンパ(shey)というチベット仏教のカギュ派の僧院です。

レー市内から車で30〜40分くらいの場所にあります。

その間、スティファンさんは運転手のラダック青年に将来の夢は何とか、どこかいって見たい国はあるか、とか積極的にコミュニケーションを取っていました。

フランス人のステファンさんは、ラダックにはトレッキングが目的できているそうです。祖国には奥さんと娘さんがいるとのこと。家族写真をみせて貰いました。ダライ・ラマの法話会にも参加したと言っていました。

ゴンパまでの道中、荒涼とした山々の間に河川が通り、オアシスのように美しい風景が広がっていました。

橋に架かるタルチョ
放牧されている牛
荒涼とした山々

シェイ・ゴンパに到着しました。

岩肌を削って建てらような風貌です。河に沿ってオアシスのように緑が茂っているのが、ゴンパからの眺めでよくわかりました。それ以外は荒涼としています。以前はここに王都があったそうです。

レンガで作られた外壁と木製の窓
ゴンパからの眺め。以前はここに王都があったらしい。
上半身だけかと思ったら・・
なんと巨大な釈迦牟尼仏。二階建て。

次に向ったのは、チベット仏教の最大の宗派であるゲルク派のティクセ・ゴンパ(Thiksey)という仏教僧院です。ダライ・ラマ法王もゲルク派に属しています。

シェイ・ゴンパから車を走らせティクセ・ゴンパが見えてきた頃、ステファンさんは、ゴンパの数キロ離れたレストランでタクシーを止めてくれと言いました。

ティクセ・ゴンパまでは林道があるため、なんと歩いて向かう、と言い出しました。。。

私たち二人はタクシーから降り、ティクセ・ゴンパに向け歩く前に昼食を取ることにしました。

私は昨日も食べたチベット料理のトゥクパを注文。ステファンさんはピラフのような食べ物を注文していました。


食事を済ませせ、私たちはティクセ・ゴンパに向け歩き始めました。

とにかく・・・

このステファンさんは歩くのがめちゃめちゃ早い!

私も歩くのは好きですが、それにしても早すぎる!私よりも年齢は上で細身なのに、めちゃくちゃ歩くのが早いです!私を気にせずどんどん進んでいきます。歯を食いしばりながらついて行きました。

遠くに見えるティクセ・ゴンパ
岩山の上にそびえるティクセ・ゴンパに向けてひたすら歩く。

数キロ歩いてようやく辿り着きました。

辿り着いた後は、僧院に向かう階段を登ります。ここまでの道中で私は疲労が溜まってきていましたが、ステファンさんは余裕そう。。。さすが、トレッキングを目的にラダックにきているだけあると実感しました。

ティクセ・ゴンパ

ティクセ・ゴンパは岩肌に沿うように山頂に建つ美しい外観の僧院でした。

外壁に沿った階段を登っていきます。

僧院までの階段
階段を登るステファンさん
階段からの風景。私たちが歩いてきた道。

歩いてきた甲斐があって、私たちが歩いてきた道を顧みることが出来ました。よく歩いたなぁ。

建物の中に入ると、シェイ・ゴンパの時よりも改修されたのか、建物が新しく整備されていることがわかりました。広い中庭もあります。観光客も大勢いて、人気のある観光地でもあることがわかりました。みんな僧院内を参拝していました。

中庭部分

法要を行う建物に入ります。

建物内では、チベット僧たちが法要の準備をしているところでした。

私が話しかけると、彼は少し日本語が話せるようで「こんにちは」「ありがとう」という言葉を知っていました。私が「なんで日本語知っているの?」と尋ねたら「少し知っているだけで、会話はできないよ」と言っていました。彼は50歳だそうで、「見えないね!」と驚いたら笑っていました。そして快く一緒に写真を撮ってくれました(私の聞き間違いだったのかもしれない。。。)

尋ねたい事は色々あったのでが、彼は法要の準備をしていて忙しそうだったので、「ありがとう」と伝えて別れました。

チベット僧と。後ろにダライ・ラマ法王の写真が飾られています。

建物内は、外の外装より古い木造の建物でした。いつくらいのものなのか、古い壁画の装飾が施されています。

チベットの僧院では、今の多くの僧侶が修行しているといいます。私も、永平寺での修行時代を思い返してみましたが、同じような感じなんだろうか。

ヴァジュラバイラヴァの像

ヴァジュラバイラヴァの像。

ヴァジュラバイラヴァは、日本では大威徳明王といい、主に密教で信仰されている明王です。本当の顔は水牛の頭をしており、足は六波羅蜜を歩むために六本あるそうです。日本では形が違い、水牛に乗った姿が表されてます。下のヴァジュラバイラヴァの像は、威力を抑えるために本当の顔は隠されている、とのこと。


中庭では、どこかの国のお坊さん(スリランカでしょうか?)から写真を撮って欲しいと言われたのでぱちり。他の国の僧侶も、同じく自分の文化圏とは違う仏教を学んでいるんですね。私がもっと言語能力があればと悔やまれます。

永平寺の仏殿のような建物。弥勒菩薩だそうです。美しい装飾。

弥勒菩薩

最後に訪れたのはマトゥ・ゴンパ(matho)。サキャ派の僧院です。

マトゥ・ゴンパでは、この時私たち以外の参拝者はいませんでした。

ブッダに礼拝
大日如来だそうです。

今回、違う宗派のチベット僧院を三ヶ所訪れましたが、建物を一見しただけではその違いを感じることができませんでした。

ガイドをつける余裕がなかったため、各僧院を詳しく学べたかったのは勿体なかったですね。

チベット様式の僧院を訪ねてみて、日本の仏教もチベットの仏教も、同じ「空」の思想を基にした大乗仏教の流れを組みますが、各地の文化や環境に合わせうまく取り入れながら発展してきた背景があるので、お寺や仏像も日本では考えられないような奇抜な色彩表現されています。

また、チベット仏教はサンスクリット語からチベット語に翻訳されたチベット独自の経典を持つことから、仏教学としても非常に重要視されています。

法要は、日本では恭しく厳格な進退が求められますが、チベット仏教の法要はお茶を飲みながら行ったりしていますね。

修行は、膨大な経典や論書を暗記して、激しい問答を重ねているのが印象的です。曹洞宗でも法要の一部で禅問答はありますが、現在では既に回答のテンプレが決まってしまっています。タントラという独特な修行法があるのうですが、詳しくないので後に勉強、とします。


私たちは文化の違いや考えの違いによって、「こちらとそちら」という風に、見ず知らずのうちに自ら線を引き、分け隔てて考えてしまいがちです。

ですが、仏教を歴史や文化で分けてしまうと、仏教の真意が何もわからなくなってしまいます。仏法は時や場所を選ばない、生死を乗り越えるために導いてくれるもの。

異国の仏教や他の宗派を「そちら」と分ければ、仏陀の真意から遠く離れていってしまうでしょう。仏教に大小はないない。ただ一乗のみ。等しく仏教を学んでいきたいです。


長文をお付き合いいただき、ありがとうございます。

次回は、インド最終回です。

釈尊が悟りをひらかれた聖地ブッダガヤへ参拝し、感じたこと、体験してきたことをお話ししたいと思います。

その⑦に続きます。

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