インド⑦仏陀の足跡を辿って。NGO結び手さまの活動に同行させていただき、インドの教育現場を見学。
レーでの最後の食事は、同じゲストハウスに泊まっていた方の案内で、南インド料理を食べに行きました(場所は失念)
頼んだのは「ターリー」という、カレーやスープ、煮込んだ豆料理が個別に盛り付けられ、ナンやお米、インド版せんべいのようなものが一つのお盆に乗せて提供される南インドの料理です。インドの家庭では、主にお祭りの日などに食べられているそうです。
今のように冷蔵庫などがない時代、熱帯の地域では暑すぎて、作っているうちから料理がどんどん腐っていってしまい、どれか一つが腐ってもそれだけ破棄すればいいように、個別のお皿に分けて提供する文化が根付いたと聞いたことがあります。
真ん中のお皿の丸い食べ物は「グラブジャムン」という砂糖揚げ団子のような食べ物なのですが、甘いシロップに浸かっていて、噛むと口の中に広がります。とても甘い。一緒に食事に行った方は、苦手だと言っていましたが私は好きでした。ご馳走様でした。
いよいよレーを出発する時がやってきました。
お世話になったゲストハウスオーナーやステファンさん達にお礼を言いました。彼らのおかげで、ダライ・ラマ法王の法話会に順調に参加することが出来き、レーでの実りのある楽しい時間を過ごすことが出来ました。感謝です。
これからレーを飛行機で離れ、デリー空港を経由して、お釈迦様の成道の地「ブッダガヤ」に向かいます。
仏教には四大聖地があります。
お釈迦様のお生まれになった誕生の地「ルンビニー」、初めて5人の比丘に説法をして法輪を回した「サールナート」、サーラ双樹の間に北向きに横になり般涅槃に入られた入滅の地「クシナーラー」、そして、明けの明星を見てお悟りを開かれれた成道の地「ブッダガヤ」です。
これから向かうブッダガヤでは、インドで活動しているNPO「結び手」さんに同行させてもらい、活動現場を見学させて頂くことになっています。一般観光者が現地の生活に入り、現地の教育や慣習を学べるのは貴重な経験です。
レーを8:30出発の飛行機の中で、異国の僧侶に挟まれる私。一列僧侶。
私は普通の私服を着ていましたが、同じ匂いを感じたのか、隣に座っていた若いお坊さんが話しかけてくれました。話した内容は忘れてしまいましたが、笑顔の優しい若いお坊さんでした。もっとたくさん聞いてみたいことはありましたが、元気でねと伝えて、手を振ってデリーの空港で別れました。
デリー空港でNPO結び手代表の福岡くんと合流しました。オンラインでは何度か顔を合わせていましたが、直接会うのは久しぶりです。
彼は、インドにて外部環境によって努力することが出来ない人々を支援し、問題を根本的に解決しようすると活動を行なっています。(NPO法人結び手HP https://www.musubite.org/)
彼と私は二十代からの友人であり、私が以前組んでいたバンドのメンバーでドラムを叩いてくれていました。日本に住んでいては実感するのが難しい、インドの現状を知らせてくれます。
結び手のインターンで来ていたLくんとAさんとも合流し、四人でブッダガヤ行きの飛行機に乗ります。
ブッダガヤの空港に着くと、結び手の現地スタッフであるパンカジさん出迎えてくれました。手配してくれていた「リキシャ」という荷台付きの乗り物に乗って、ブッダガヤの町へ向かいます。
パンカジさん曰く、インドの人は自分のボスをとても尊敬するのだそう。福岡くんとパンカジさんのやり取りから二人の信頼を感じました。
ホテルにチェックすると、まずは、ブッダガヤにあるとある村の教育現場を見学に同行させてもらいました。
ブッダガヤのあるビハール州はインドの中でも貧困層が多い地区だそうで、教育の重要性の認知度も低い。インドでの民間の教育の現状は現地のNPO頼り、というのを何かで見たことがあります。
年長の女の子はこれから勉強する場所を整えるために、箒で地面を綺麗にしたりしていました。同じインドの国の人でも、さっきまでいたラダックとはだいぶ顔つきや生活が違うのを感じます。
屋外の青空学校ながら、ちゃんと指導する先生がついて教育されていました。学んでいる内容は、文字の読み書きを行なっているようです。文字の読み書きに使うノートやペンも寄付によるものでしょう。
少し離れた他の場所では、建物の中で日本のテキストを使った教育が行われていました。
ところ変わって、今度は「スジャーター」のお墓に案内してもらいました。
「スジャーター」とは、お釈迦様がまだ悟りを開く前に、苦行を中止したお釈迦様に、最初に食事の供養を行った女性です。お釈迦様は、その食事によって体力を回復され、菩提樹の下で静かに坐禅を組み、明けの明星を見た時に悟りを開かれたと伝わっています。
後にお釈迦様は、成道の縁となったスジャーターの食事の供養と、涅槃の縁となったチュンダの食事の供養を同等に讃えられました。
夜はマハーボーディー寺に参拝に連れていってもらいました。
マハーボーディー寺は、お釈迦様が成道する時に坐禅された場所と伝わる菩提樹と、その坐所の側に建立された仏教遺跡です。世界遺産にも登録されています。全世界の仏教徒の最重要遺跡であるにも関わらず、ヒンドゥー教の信者が管理しているなど、問題もあるようです。
ここでは写真を撮ることが禁じられている or もしくはお金がかかるということで、カメラや荷物は預けます。
仏陀が祀られている建物まで、沢山の参拝者が列を作って並んでいました。お寺の周りでは仏教僧侶が瞑想したり、読経したりしていました。
マハーボーディー寺を出ると、他の国の仏教コミュニティに案内して頂きました。
私はよくわからないまま案内され「この子達に喝を入れて欲しい」と言われたので、若いお坊さん達に日本の僧侶としてエールを送ってきました。
夜のブッダガヤの広場は沢山の人がいます。夜でも子供達だけで歩いているので、治安は悪くはないんでしょう。
次の日、パンカジさんのご好意で、福岡くん達とは別行動し、ブッダガヤの聖地や観光地に連れて行っていただける事になりました。
現地の人に「トトロの木」と呼ばれる巨木。ですが、なぜトトロの木と呼ばれているのかは現地の人もわかっていないそう。巨木ですが、お釈迦様が実際に生きていらっしゃった2500年前には、まだ存在していなかったでしょうね。
トトロの木の後は「前正覚山」に連れていってもらいました。
「前正覚山」とは、お釈迦様がまだ悟りを開く前に、苦行していたと伝わる石窟がある岩山です。
前正覚山は平地が続くブッダガヤの中でも、遠くからでも望むことが出来る圧倒的な巨大な岩の塊でした。
前正覚山の麓にバイクを停め、石窟まで山を登っていきます。
山の途中には沢山の猿がいました。最初は可愛いななんて思っていましたが、とんでもない。観光客慣れしているようで、隙があればカバンの中に手を突っ込んで食べ物を探っていく勢いでこちらに近づいてきます。
途中で露店なんかもあり、スナックや飲み物なんかも売っていました。みんな餌をあげるんでしょうね。
岩壁に沿って建てられている建物にきました。大勢ではないですが参拝者もちらほらいました。
もともと穴が空いていた場所なのか、それとも人為的に穴を開けられたのかはわかりませんが、岩壁にはいくつか石窟があり、中には苦行しているお釈迦様がお祀りされていました。
お釈迦様は六年間、苦行の生活をされたと伝わっています。極端な苦行を続けられ、皮と骨だけになってなお、自分の求めた悟りのためにならないと、この苦行の生活を中断されました。
岩山の頂上にも行けるそうですが、だいぶ時間がかかるため今回は断念。
実は日本からインドへ来た第二の目的であった前正覚山での砂を拾って日本に持ち帰るという念願も叶いました。
前正覚山をバイクで後にする道の途中で、お釈迦様もこのような道を歩いておられたのかと思うと胸が熱くなりました。
前正覚山の参拝の後は、ブッダガヤにある各国のお寺を参拝しました。
○ミャンマーのお寺
○ブータンのお寺
○日本のお寺
お昼はホテルに戻って昼食。
私はこの後、夕方の飛行機に乗り日本に向け出発しなくてはいけませんでした。
ですがその前に、もう一箇所結び手さんの活動に同行させて貰うことになりました。
飛行機の搭乗時間になるまで、出来上がったばかりのフリースクールの開校式に連れて行って貰いました。
炎天下の中、子供たちが私たちの到着を待ち、歓迎してくれました。マリーゴールドの花の首飾りを首にかけて貰ったのは初めてです。
このフリースクールは国外の方の寄付によって、建設されたそうです。
新しい屋内の勉強する場所に子供達はみんな大喜び!
私が下に散らかったゴミを片付けようとしていると、大人の教育者の方から「明日子供達に片付けさせるからやらなくて大丈夫」と言われたりしました。
さて、こうやって建物が寄付され、子供達が教育を受けれる建物が整ったのは素晴らしいことですが、果たしてそれが本当に素晴らしいことなのか、自分勝手な自己満足になっていないか、本当に現地の人のためになっているのか、一度立ち止まって考えてみるべきです。
私は一人の日本人として、当たり前に努力して、当たり前に仕事をして、その対価を得て自分や家族の生活を守り、さらに発展し向上させて行こう、そして他の誰かのために自分の力を役立てたいという感覚があります。
しかし、国外や貧困地域では、何もしなくても貧困である、ということだけで無条件に寄付や支援が集まり、人の善意が逆に成長する機会を奪っている場合もあると結び手代表の福岡くんは警鐘を鳴らしています。
私たちは当たり前に善意を持っています。それが偽善と指摘されるものだとしても、「善い心を以って行えば、それが善につながる」と仏陀がおっしゃっているように、善がより有効的な善になるように、よく検討し、また現場の様子を定期的に注視しながら、支援活動を行う重要性を、今回のブッダガヤでの教育支援現場を見学して改めて考えさせられました。
この私はお世話になったみんなと別れを告げて、福岡くんとパンカジさんに空港で見送られながら日本へと帰路につきました。
以上、2023年7月に訪れたインド、ラダックーブッダガヤでの体験を7回に分けてお伝えさせていただきました。
私もそうですが、人は自分の置かれた環境がすべてだと思い込んでしまうところがあります。今自身が置かれている現状がすべてではないことを実感し、多角的に物事を見つめ、それぞれの現実に触れるためにも、これからも他の文化や環境に積極的に身を置いてみようと思っています。
ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。
合掌
過去記事 インド滞在①〜⑥はこちら。