ともに生きるセクシュアルマイノリティ - LGBT(Q)についての研修 –

米沢市内の会場で研修会が行われました。

今回の研修会は3テーマありましたが、1つはLGBT(Q)についてでした。

講師の先生もおっしゃっていましたが、一言でLGBTを学ぼうといっても、私自身の周りにはそういった方がいらっしゃった経験はほぼないと思っています。ですので、この問題を自分事としてイメージしづらいのが率直な感想でした。しかし、それは身近にいらっしゃらなかったのではなく、ただカミングアウトされなかっただけ、もしくは気づかなかっただけなのかもしれません。

性的少数派の方々は多数派が多くしめる社会の中で、偏見を持たれたり生きづらさを感じていると想像できます。例えば「同性同士の結婚」「男は〇〇でなくてはならない、女は〇〇でなくてはならない」「トイレやお風呂等の設備の問題」など、今までは当たり前のように語られてきたのが、差別や偏見になるものとしてどんどん見つめ直されてきている時代です。

なかなか当事者としての意識を持ちづらいのですが、自分も子供がいる身として、もし子供がLGBTであった場合にどのように接すればいいのか、どのように声かけをすれば良いか、想像力を膨らませる事で理解を深める考えるきっかけになりました。


また、もし仮に「檀家さんから兄弟にLGBTの方がいて、戸籍上の性別ではない戒名を生前中に希望していたと相談があった場合、どのような戒名を授けさせていただいたら良いのか」という議論をロールプレイ形式で行いました。

僧侶の立場からすると故人の意思を尊重したいが、葬儀の時に写真と戒名に差がでるため葬儀に訪れた参列者や親族などが混乱し、差別や別の問題が発生するのではないかという指摘や、致し方なく俗名で葬儀を行う、などの意見がありました。

また実例として、遺族と相談の上で性別が現れる在家としての戒名の位階の部分(信士・信女、居士・大姉など)をやめて、出家としての位階(上座)とした、という解決案の発表もありました。

この問題は今のところ決まった答えはなく、僧侶と遺族の間でよく相談を重ね、個々に責任を委ねるしかないというまとめでした。


新しい位階として、男女を超えた新しいものを作ったらどうかという意見があるそうですが、時が経った後に逆に差別戒名に繋がるのではないかという意見もあるそうで、現状この案はストップしているそうです。

想像力を働かせることで、結果的に相手の事を考えることに繋がるという講師の先生の言葉が印象的でした。

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