仏教を日常に活かす〜悪から離れ、幸せに生きるために

こちらの会場で法話をさせて頂きました。

今回の法話は、主に高齢に近づきつつある方々に対して、戦争やいじめなどの社会問題や、年を重ね身体が不自由になっていく心配に対して、仏教の観点からどのように向き合って行けばいいのかお話しして貰いたい、というご相談でした。

まずはお釈迦様の生涯とはどんなものだったのか、そして実際にお釈迦さまが説かれた事がお経にはこんな風に書かれてあります、では仏教の教えをどのように日常生活の中で役立てていくか考えてみましょう、そんな内容で約1時間ほどお話しさせて頂きました。

私がいつも意識しているのは、仏教をより良く生きる道標として、自分の日常生活の中に活かす、ということです。

あなたがもし仏教を難しい漢字の並んだ難解なお経だったり、亡くなった方々に対する供養を行うもの、とだけ考えているのならそれは勿体無いです。

仏教のお経には私たちが幸せに生きるためのヒントがたくさん詰まっています。お経を読むと、遥か昔も現代も、人々が苦しんでいる内容はあまり変わっていない事に気がつきます。噂話をしたり、本当かわからない占いを信じたり、老いに嘆いたり。お釈迦さまが教えを説いたのは、今を生きる私たちに苦しみの原因を気づかせ、苦しみから抜け出す正しい道を教えるためでした。

仏教が始まってから約2500年が経ちます。2500年もの時間を時を超えて、より幸せに生きるために世界中で仏教が学ばれ続けている、これはすごい事です。

では、具体的に日常生活に活かせる仏教の教えはどんなものがあるでしょうか。

例えば、日常に活かせるシンプルな10種類の良い行いがあります。

①生き物を殺めない事(不殺生)

②盗みをしない事(不偸盗)

③不倫をしない事(不邪婬)

④偽りを言わない事(不妄語)

⑤人と人とを仲違いさせるような言葉を使わない事(不両舌)

⑥悪口を言わない事(不悪口)

⑦飾り立てた意味のない言葉を使わない事(不綺語)

⑧貪らない事(不貪欲)

⑨怒りに飲み込まれない事(不瞋恚)

⑩誤った見解を持たない事(不邪見)

この10種類の良い行いを仏教では十善業といいます。

仏教でいう善い行いとは、悪い行いをしない・悪い行為から離れる、ということなんです。

私たち人間は社会的な生き物なので、他の人の助けがないと生きていけません。裏で陰口を言ったり、怒ってばかりいる人をだれが助けたいと思うでしょうか?

誰もがちょっとイライラして、声を大きくして怒鳴ってしまったり、嘘を付いたり、ふさわしくない事をしてしまうこともあります。でも、思い出してみてください。その時のあなたの心は、心地よい状態ではなかったはずです。

問題なのは一度行ってしまった事は癖になり、再び繰り返してしまう事です。繰り返している内に、その状態が当たり前になってしまいます。そうなる前に、自分の行いを反省し、その状態を断ち切る努力をしなくてはいけません。逆に善い行いが習慣になれば、それが当たり前になってきます。その状態が長く続くように、こちらも努力しなくてはいけません。

仏教は行い(行為・カルマ・業ともいいます)を重要視します。行いは、心の行い→言葉の行い→身体の行いの順に作られ、変化していきます。そのため、心の行いが最も重要視されています。
心が良い状態であれば、言葉や身体の行いも良いものになります。そして生きるのが楽になっていきます。

道元禅師の「善悪は縁にしたがっておこる」という言葉があるように、心を良い状態に保つためには、悪いものに近づかずに心を護ることも大切です。

行いが良いものであれば、信頼を得て、人に慕われます。あなたは日々をより楽に、幸せに過ごす事が出来ます。

100パーセント、これらの10種類を守れなくても、たまに思い出すだけで十分です。それが、あなたのお守りになります。悪に落ちないためのお守りです。

仏教の教えを日常に活かす事は、きっとあなたの幸せに長く役立つはずです。

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